妙義山を裏から眺めながら碓氷バイパスを登り、峠を越えたとたん、目の前に浅間山が現れる。
世界ががらっと変わる。
どちらの山も個性的だ。お互いに引けをとらない。
すごい存在感だ。
毎日妙義山の覆いかぶさるような山容を見ながら育った人の心にはきっと何かが刻まれているのではないか。
同じように毎日圧倒的な浅間山を眺めていた人の心の中にも。
これまで妙義山を見たことがなかった。
いやこのあたりには仕事やツーリングで何度か来たことがあると思う。あの特徴的な山のカタチが目に入らなかったことはないと思うが、強い記憶がない(あるいは忘れた)というのは、当時の私の心が山に反応しなかったということなのだろう。
しかし今回は違った。
すごいよ、この山。関越から上信越自動車道に入ってしばらく走るととつぜん右前方にギザギザのシルエットが現れたときは、なんじゃこりゃーと心の中で叫んでしまった。
こんな山が日本にあったんだ。
桂林やアメリカのコロラド川流域の景色とちょっと似ている。
だけどこちらのほうが一つの山としてまとまっている分、すごみと存在感があるんだ。
私はまだ日本のことを何にも知らない。
しばらくブログをお休みしていた間に、一つ歳をとり、体重が1キロ増えた。
とうとう波平よりも年上になった。
先月高校時代の同級生と37年ぶりに会った。
Facebookでの再会がきっかけとなって、次々と声をかけあって、在京の同窓生が14人もあつまった。
最後に見たときは18歳だった青年たちが、あたりまえだが55歳のおっさんとなって目の前に現れた。
覚悟はしていたが、その変りようは相当なものであって、顔を見てもなかなか思い出せないヤツもいた。
だけど1時間も酒を飲みながら話しているうちに、だんだん高校生にもどってきたのさ。
毎日会っている人よりも身近に感じるところもある。
不思議だなあ。
記憶の中の人間の距離って、単純に時間に比例するわけでもないんだな。
雨模様の日曜日。
しばらくぶりに父の墓へ行った。
新興住宅地のような霊園であるが、空きの多かったまわりにぽつぽつと墓石が増えていた。
にぎやかでいいではないか。
プレミアムモルツを置いてきた。
2週間に1回くらい、父の夢を見る。
おや、おかしいぞ。今年はセミの鳴き声を聞かない。
例年ならば梅雨が明ける前からヒグラシの声を聞いていた。
高校野球の予選が始まった今ごろはニイニイゼミやアブラゼミなどがそろそろアイドリング鳴きを始めてたような気がする。
と思っていたら昨日御殿場ではヒグラシが元気に鳴いていた。
本田亮さんの「最後のメッセージ」と題した講演会があった。
本田さんは私より4年先輩だが、昨日退社されたのだ。
これからはフリーランスのCDとして、作家として、漫画家として、冒険家として自由に生きていくのである。
最後だから何でも言うぞということで、なかなか会社では聞けない話が聞けたのだった。
仕事のことや転覆隊を始めとする冒険の数々の話はオフレコ話もりだくさんでもちろんおもしろかったが、家族の話はこうしてまとめてご本人から聞くのは初めてで、私はマジ感動したのだった。
なんかドラマを一本見たような読後感さえあった。
本田さんの話を聞いていると、「忙しい、忙しい」ってめそめそ言いながら休み一つ取れない生き方ってのは、とんでもなく怠慢な生き方のように思えてくる。
人生や周りの人々に対して不誠実というものじゃないか。