空とじゅうたんの間で
| コメント (1)
市川準さんが作った最新の自主制作映画である。
家庭用ビデオカメラを用いて撮ったものである。
役者はすべて素人である。
私たち、東京で生きているのは、懸命に気を使いながら、かろうじてなんとかふつうに生きている。あやうい。ものすごく無理をしている。
命を粗末にあつかっている、とさえいえるのではないか。と、そんなことをこの映画を観て思った。
(前日に観た『その日のまえに』の夫のセリフを思い出した。
「ぼくは妻の命を粗末にしていたんです」っていうのだ。)
最後に妹が兄貴にスーツを買ってやろうとするところが、いい。
「うち、貯金あるねん。スーツ買お」
この妹は、命を粗末にしていないのだ。その反対なんだ。
| コメント (4)
その日というのは自分が死ぬ日。
近く死んでいくことがわかっている人はその日のことをいつも考えている。この映画の女主人公のとし子もそうだ。入院の前に自分の下着やら何やらを段ボールにまとめて死んだあとで始末してくれるよう夫に頼み、お別れの手紙を早々としたためて夫に手渡し、「準備がよすぎるっ」と叱られる。でもその日のことを忘れたふりをするほうが怖いととし子はいうのだ。思い出したときが。
映画の中で宮沢賢治の詩「永訣の朝」が何度も朗読されるのだが、「きょうのうちにとおくへいってしまうわたくしのいもうとよ」という最初の一節が、何度も聞いているうちに、愛と、悲しみがいっぱいつまっていることにだんだん気がついてきて、なんだか深く感動してしまうというわけだった。
| コメント (0)
いけね。写真を撮っておくのをまた忘れてしまった。
赤坂のバンブー・バーの入り口は、ガラガラッとあける引き戸であった。手を掛ける金具の位置が低い。昔の日本人の体型に合わせてその高さになっている。戸をあけるときにちょっと前かがみになる。おかげで低い桟に頭を打たなくてもすむ。中に入って両手で戸を閉じる、その動きが我ながら粋に思える。
何度も出たり入ったりした。
「この引き戸なんかは京都あたりの古い家から持ってきたものなんでしょう?」
知ったかふうに聞いたら、いや違う、関東の家のを持ってきたんや、と京都弁のマスターが言った。関東と関西では規格が違うから、京都の戸は東京の建物には入らないんだそうだ。
この日はラジオCMの演出家兼コピーライターのナカヤマさんとナレーターの大川さんとバーテンダーの大川さんと飲んだ。
ナレーターの大川さんは前にウイスキーのラジオCMを作ったときに声の出演していただいた。そのCMを演出したのがナカヤマさんだ。バーテンダーの大川さんは銀座でヒースというバーをやっていた。いまは中央線の国立に移ってバーを開いている。
というわけで非常にウイスキー関与度の高い人たちの飲み会であった。
にもかかわらず京都弁のマスターは臆することなく、酒の話、建物の話、政治の話、なんでもかんでもようしゃべくりはった。
バンブー・バーをスタートに、焼き鳥屋、もう1軒のバーをまわり、たくさんのウイスキーと日本酒を飲んだ。中でも圧巻は「山崎25年」と「白州25年」の飲み比べであった。
| コメント (2)
最近のコメント